岐阜家庭裁判所 昭和49年(少ハ)4号 決定 1974年7月02日
少年 M・J(昭二八・一二・三生)
主文
本件申請を却下する。
理由
本件申請の要旨は、右院生は昭和四八年七月一〇日窃盗、道路交通法違反保護事件により当裁判所において特別少年院送致決定を受け、愛知少年院に収容中の者であるが、在院中二〇歳に達し少年院法第一一条第一項但書により収容を継続中のところ、来る昭和四九年七月一〇日をもつて送致後一年の期間が経過するので同日退院させなければならない予定のものである。しかし、右院生は昭和四八年一〇月退院が相当期間おくれることを覚悟の上で愛知少年院に併設の○○自動車整備学校に入校し目下同校訓練生として修業中であり、その成績も良好、このまま指導を続ければ昭和四九年一〇月下旬実施予定の三級自動車整備士資格試験に合格できることが期待される。本人の場合この自動車整備士の資格取得の機会を得ることが従来の徒遊、怠惰な生活習慣を脱し将来の更生、生活設計のため必要であり、加えて本人の有する衝動的にその場その場の安易な享楽を追求するという歪められた社会性の矯正は未だ十分とは認め難いので、その矯正のためにもなお相当期間収容を継続する必要がある。よつて退院後の保護観察期間も含めて六ヵ月程度の収容継続を申請する、というのである。
そこで検討するに、本院生は入院後殆んど事故がなく順調に進級しているから院内成績の点はあまり問題がなく、退院後の帰住先についても養父実母が受入れ態勢を整えつつあるから、本人との間の心的交流面で今ひとつという点はあつても、いちおう恵まれた境遇にあるということができる。そこで結局本件収容継続の主目的は本人に自動車整備士の資格を得させることが本人の更生上適当だという配慮にあると解せられる。確かにあと数ヶ月修業を積めば三級整備士の資格が得られるということは得がたい機会であり、ことに小学校低学年の頃から盗癖が発現し施設経験の長い本院生のような者にとつては、予後のためにもかかる資格を修得しておくことが得策であることは極めて明らかである。それは又一度自分が決心してやり始めたことを最後までやりぬくという、本院生に欠けている精神面を実地に教育する機会でもある。従つて本院生の指導に当つている教官達が一生懸命にこの辺の道理を説いて本人に整備士資格の取得をすすめるのも至極当然のことである。しかし問題は本人が自分自身の将来のために、或いは人生のために今ここで修業するのだという気持になつていないところにある。すなわち家庭裁判所調査官水口冨美永の調査報告書及び審判の際の本人の供述によると、本人は確かに自ら希望して○○自動車学校に入つたのではあるが、やりながら自分はこの仕事に向かないと思う、たとえ資格をとつたとしても将来整備士関係の仕事を選ぶつもりは全く無い、そう思うと自分の役にも立たない資格を取るために四ヶ月も出院が延ばされるのは何ともやりきれない気がする、でもこんな希望は施設ではどうせ聞いてもらえないのですから自分がどうしたらいいか少年院や裁判所で勝手に決めて下さい、と最後はやや自棄的のようになつているのが最近の心境のようである。母親の供述によると本人は本年二月頃からこのような心境をもらし始め、親としては資格だけは取るようすすめはしたが結局本人の気持を変えることは出来なかつたので今となつては収容継続は希望しない、と述べるに至つている。このような本人の心的態度に対してこの収容継続を考えたとき、収容を継続し整備士の資格を得させることが果してどれだけ本人の非行性の矯正に役立つのか疑問なきを得ない。尤も前記の如き本院生の心的態度こそ、少年院法一一条二項にいうところの「犯罪的傾向がまだ矯正されていない」証拠だといえないこともない。又本院生の前記の如き心理は退院できる予定の時期が近づいたことによる不安定な要素に支配されていることも大いに考えられる。しかし、そうだとしてもこの院生にとつて強制収容を継続することが必ずしも有効適切な解決になるとはにわかに断じがたい。このように考えると本院生の収容を継続することにはこれを首肯するに足る十分な理由がないといわざるを得ない。
よつて、主文のとおり決定する。
(裁判官 海老沢美広)